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アール・ブリュット・ジャポネ展 [アート]

 GW、大人だって楽しんだっていいんじゃない?
 というわけで、子どもを置いて、勝手に(いちおう嫁さんには断わって)アートするワタクシ。そういえばしばらく美術館に足を運んでなかったっけ。

 京浜東北線北浦和駅から徒歩3~4分。
 北浦和公園中にある埼玉県立美術館へ赴く。ここは以前『ワイエス素描展』で訪れたことがある。街中なのに自然と美術館が共存していて、なかなか良い雰囲気なのだ。

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 ところで、アール・ブリュットって言葉、ご存じですか?
 知らない?
 実はつい最近までボクも知りませんでした。
 直訳すると「生の芸術」となるらしいのですが、<正式な美術教育を受けていない(精神的障害を抱えた)方たちが、自己の衝動をそのまま形にした美術>と意訳するのが一番現実に即しているかも。
 半年近く前に、NHKの新日曜美術館で、パリで開催された展覧会の様子が紹介されていたっけ。この展覧会は、その凱旋公開に当たる。

        001_512.jpg

 芸術作品に限らず、<物>を創造するという行為は、熟考に熟考を重ね、アイデアと技術を研ぎ澄ませた上に成り立つものであるのだが、展示されている彼らの作品は、それとはいささか異なり、"まず衝動ありき"。そして最後までその衝動が途切れることなく同じテンションで継続される。
 言い変えれば、技術の有無は必ずしも必要とされない。衝動こそすべて。
 職業としての美術家ではまず不可能なこの領域を、彼らは軽々と越えてゆく。他者の批判的な視点など、彼らの頭にははなから存在しない。ひょっとしたら、なぜ描くのかすらも意識していないのかもしれない。止むに止まれぬ衝動だけが一里塚の如く、ただ、そこにある。


 例を挙げると、

 ◆古い記憶を頼りに、懐かしい日本映画のポスターを再現する作品では、細部までしっかりと描き込まれていて、これが記憶を頼りに描かれたものだとはとうてい信じられない精度。
 ◆画用紙に青いボールペンで繰り返し書かれた「も」の字。幾度も幾度もそれが書かれたものだから、文字の形がいつしか模様に変化してしまったような画。
 ◆カラフルな線で描かれた猫は、まるで人体模型を見ているかのように、かわいいようでいながら、ちょっとグロテスク。
 ◆何枚も何枚も、同じ画しか描かない人もいる。同じ画ではあっても、ごく微細なところではちょっとばかり異なっていたりするのを見つけるのも楽しみ。
 ◆画面一杯に、もの凄く小さな漢字が敷き詰められているのにもびっくり。まるで米粒に文字を描くが如くの作業に、気が遠くなりそうだ。
 ◆乳房や男女の性器がグロテスクに描かれた画もある。<人は性衝動(リピドー)からけして逃れられない>というのがボクの持論だが、まるでそれを実証するかのようなそれは、思春期特有の好奇心と嫌悪感が同居する。
 ◆街で見かけた<文字>を次々と書き留めた雑誌の1ページ。よーく目をこらして眺めれば、誰でもが知っている単語が止まることなく連なっていて驚かされる。

 どの作品も脅威に値するが、多くのものに共通するのが、執拗な繰り返し。
 まるで止まらなくなったバレリーナの回転運動(『赤い靴』という映画があったっけ)を連想させる。
 時間と労力を秤にかければ、普通なら途中で諦めたくなるはず。しかし、彼らにとって、過剰は必要なことなのだろう。過剰でなければならないのかもしれない。
 こんな美術作品を観せられたなら、プロの美術家はどうしたらいいんだろう?
 ・・・ねばならないという領域において、彼らと対等でいられる人がいったい何人存在するのだろうか?
 
 この展覧会からは、美術と自分との関係性を再度考えざるを得なかったりしてしまうのだ。
 ある意味、恐ろしい。


 
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コメント 1

TAO

とみっち様

努力や技術でないところで作品が完結し、なおかつ観る人に感銘を与えられるとしたら、これまで必死に学んできた人はどうしたら良いのでしょう?

芸術の本質を突き付けられたような気がします。
by TAO (2013-08-03 20:32) 

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