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『極めてやわらかい道』(ゴジゲン) [演劇]

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                    『極めてやわらかい道(ゴジゲン)』


 芝居は久しぶり。
 なので下北沢も久しぶり。
 ラーメン屋で早めの夕食と洒落込み、麺固めとか言いながら、乗ったチャーシューに舌鼓を打つ。
 あいかわらずどこに通じているのか皆目見当のつかない路地を行ったり来たり。それでもって駅前劇場の名の通り、最後には南口の目の前に戻ってくるのだけれど。


 『極めてやわらかい道』

 ゴジゲンの芝居は作・演出松井大吾のネガティブな怨念から紡ぎだされる恨み節だ。
 田舎者のコンプレックスに満ち満ちていて、天邪鬼のように、世間とか社会とかの常識や共通幻想の如き夢物語を極端に嫌う。それを信じられたらどんなにいいだろう。でも信じられない。信じてしまったら、それまでのすべてが崩壊してしまうかのような切迫感が巨大な塊として、ドン、と、ある。
 だから「夢は信じ続ければ、いつか叶う」といった、最近のJ-POPに共通な甘ったれた幻想に唾を吐く。

 今回の『極めてやわらかい道』は、恋愛についての物語だと言う。
 恋愛物で想い出すのが、ボクが初めてゴジゲンを観た『チェリーボーイ・ゴッドガール』の衝撃だ。
 おんぼろアパートで暮らす貧乏学生たちのしょーもない恋愛(にさえなっていないのだが)模様が、希望もなく繰り広げられ、最後には自爆する不条理このうえない内容に、頭脳停止状態に陥った記憶が今も生々しい。
 状況的には今回はその10年後のような、やっぱり救われない(いや、一部は救われるのか?)ドツボな青春物語となっている。

 向かいのアパートの女性の日常生活を監視する男たちは、彼女を女神のように崇拝している。しかし、そんな彼女が同居するヒモの残した借金を返済するために風俗へ働きに出るのだが、ヒモとはケンカばかり。かといって彼らは彼女を遠くから見守ることが自分たちの愛の形だと言い、じっと監視を続けるだけで・・・。そんな話。

 恋愛なんてしょせんは幻想でしかない。じゃなけりゃ、なんであんなブス(失礼!)を連れて歩けるんだ??? そんな感想を抱いたことのある方も多いに違いない。そう、その通り。
 恋愛の正体がしょせんは個々の現像ならば、<恋愛=一方通行>だっていっこうに構わないじゃないか! いや、すべての思い込みと虚構をはぎ取ったら、一方通行しか残らないはず。ならばその一方通行をとことん突き詰めてやろうじゃないか、、、と。

 (以下、小さなネタバレ含む)

 『チェリーボーイ・ゴッドガール』では、そこが出口なしの自爆だったのに対し、『極めてやわらかい道』では、前向きな明日などやっぱり見つけられないものの、自爆の後に訪れた "夢の終わり" が描かれる。のめり込みの激しい狂気ほど、醒めた時の反動は大きいもの。しかし、醒めた後、彼らの進むべき道は、あいかわらずの獣道なのだった。

 (小さなネタバレ終了)

 ゴジゲンの芝居の内容は昔から今まで基本的には不変だ。うだつの上がらないどうしょうもないズブズブの青春がそのにある。カミユの著書『シューシュポスの神話』とは違い、永遠とも思えるうだつの上がらなさは、一向に改善されるわけでもなく、取り損ねた灰汁(あく)のように、ぶざまに浮いているだけである。たとえぶざまであれ、灰汁として青春という時間が存在している事実もまた動かしがたいものではあろうが・・・。

 
タグ:ゴジゲン
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