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『cocoon』(マームとジプシー) [演劇]

 ゴジゲンが活動休止になった今、一番観たいという気にさせるのが、マームとジプシーだ。
 同じ場面を何度も何度もリピートすることによって、立ち現れる記憶の断片は、時に鮮明に、時に淡く、もろく、現れては消えてゆく。

 これまで演出の藤田貴大のオリジナル作品を演じてきた(『ああ、ストレンジャー』はカミユの異邦人をベースとしていたが)マームとジプシーが、マンガである原作の物語をかなり忠実になぞった話題作『cocoon』は、今日マチ子の描く戦争秘話で、透明感あふれる淡いペン画で描かれたそれを、舞台でどう表現するのか、興味の尽きない作品となった。

 戦争は日に日に激しさを増してゆく。
 そんな中でも、学校という特別な場所に守られた女子生徒たちは、明るく、無邪気に生きている。
 学校一のお洒落な子、何にでもすぐ熱くなってしまう子、みんなよりも背が高く、バレーボールでは強烈なスパイクを次々に決める子、等、女子生徒といえども、みな個性はバラバラだ。
 戦時下でも、それなりの平和を楽しんでいた彼女らに、看護学生として、負傷した兵士たちの手当をせよと言いつけられる。手当とは言っても、医師の助手として、手術を手伝ったりもしなくてはならず、負傷の激しい兵隊の手足を切断するような、残酷な現実に直面することとなる。
 アメリカ軍の爆撃も激しく続く中、豪を軍に明け渡さねばならなくなり、みんなは女教師の、海に行けばなんとかなるという言葉を信じ、とにかく走り出すのだが・・・・。

 舞台には一面砂が敷きつめられていて、海岸を模してある。
 そこに向かって走り、水に足がつかったら、また戻り、また走るという動作を繰り返す少女がいる。自分は走らなくてはならないとつぶやきながら。
 そこから時間をさかのぼって、学校での女子生徒たちのザワザワとした会話や授業の様子がうかがえる。さと子という子が狂言回しの役を演じ、それぞれの性格を観客に説明してゆく。その言葉使いは、現在から過去の記憶をたどったもので、目の前で繰り広げられている風景が、今のものではないことを深く印象付ける。
 砂浜のシーン、木枠を使ったシーン、少女に興味深々の20代後半の男の自己説明のような台詞、などは、これまでの作品で使われていた手法で、まるでマームとジプシーの過去作品を想い出しながらも、それらの集積といった印象を観る者に与えたりもする。寄せ集めではなく、あちこちに散らばっていた断片が、ここに集められ、完成したようなイメージ。

 生きたいと願いながらも、生き続けられなかった現実。
 この物語は戦時下での不幸な歴史、「ひめゆりの塔」として、今に伝えられている。過去の物語だ。しかし、演出は単に過去の悲惨な出来事を蒸し返すではなく、<今>というこの時間を意識の中にしっかりと置く。
 今は・・・2013年か・・・という台詞がさと子の口から洩れる何気ないシーンがあるのがその証拠。しかし、芝居の最後、さと子は銃弾に倒れる。ということは、このさと子はまた別のさと子なのか?

 それにしても、自分のまわりを見回せば、戦争と同じような状況が数多く存在する。連日ニュースで大きく取り上げられているエジプトの現政権と旧大統領派の衝突がある。イスラエルとパレスチナの和平交渉は、毎回頓挫、結局は争いが起きているし。
 誰もが<平和>を望みながら、いまだかつて一度も戦争がなくなったことがないこの事実。今も世界のあちこちで失われなくともよい命が失われているのだ。

 マームとジプシーは、こちらの期待の上を、ピョン! と、飛び越える。
 そして、「残念でした~」と、したり顔で微笑まれ、「また、次ね!」と、挑発してくるのだ。
 こちらもバカなものだから、「次こそ捕まえてやるからな!」なんて、ちょっぴり情けない捨て台詞を、つい、言ってしまうのだった。そして懲りずにまた劇場に・・・。
 
 
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