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『モモノパノラマ』(マームとジプシー) [演劇]

 演出の藤田貴大は絶対理数系だと思う。
 マームとジプシーの舞台での役者の動きを眺めるたびにそう思う。まるで幾何学模様のパズルのように、形の異なる複数のピースをピタリと枠に収めるような緻密さに驚かされる。
 今回は木の枠を使い、場所を作り出すことをしていて、これがたえず移動したりしていて、言葉で説明しづらいのだが、これまで以上に<コンテンポラリーダンス>的な身体の使い方が行われている。

 「モモノパノラマ」は、友達の家で生まれ、引き取られて家族の一員となったネコが死ぬまでの話だ。
 もちろん、ネコのモモは主人公ではなく、モモの記憶とともに呼び起こされる、マームとジプシーが繰り返し描く、家族や友だちとの関係が主題となる。
 その中でも、姉と妹の愛憎入り混じる切っても切れない<呪縛>と言えば言い過ぎかもしれないが、濃密な関係がここでも核となる。
 幼い頃は、ほとんど同一化と言っても良いような関係が、しだいに自我を意識し出す頃から反発しあい、相手を否定しようとする。それでも<血>の関係は、近くにいればうっとうしいし、いなければ寂しいものなんかもしれない。

 舞台は東京からかなり離れた地方都市。
 この設定も過去にいく度も登場する、いわば定番。
 寂れた街への寂寥感を掻き立てるそれは、少年少女にとっては耐え難い<見えざる敵>と同意語だ。若き命=荒ぶる魂(ソウル)を蝕む<癌細胞>なのだろう。この設定も繰り返し描かれる重要なモチーフ。

 また、出演者がそれほど多くないにもかかわらず、群像劇を思わせる物語の多重性も、この劇団の特徴のひとつで、集約してしまえば姉妹の物語なのに、年に何度も生まれてくる子ネコを海に捨てる少女だったり、マンションから飛び降りて死んでしまう少女だったり、引っ越しが決まり、飼っているイヌが保健所に引き渡されてしまうかもしれない少女だったり、線路をどこまでも行こうとする少女だったりと、多くは語られないのに、反復する台詞とシーンによって、それぞれが忘れ難い印象を受ける。

 記憶、地方都市、姉妹、別れ、上京、里帰り、時間、寂しさ、ノスタルジー、十代
 これまで観てきた作品から共通したキーワードを抜き出すとこうなる。
 とどまる自分、行く自分、行ったこと、行わなかったこと、その分疑点で、出るはずもない解答を前に、悩み、たたずむ。それは十代だろうが、ボクのような中年だろうが、基本的にはなんら変わらない。だから、マームとジプシーの芝居は、若者でも大人でも、誰にでも共感を呼ぶのだろう。

 さて、次は何をしてくれるのだろう?


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