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孤独について(番外編) [考えること]

 人は生まれ、死んでゆく。
 当り前のことを、当たり前に提示されると、それが動かしがたい真実なものだから、やっぱり唖然とさせられる。
 さて、困った・・・と。
 どうせならみんなで、おてぇてぇ~つないでぇ~♪ と、仲良く死ねたら楽しいのかな?
 でも、いくら手をつないでいたって、自分は自分、他人は他人なんんだから、それで<死>の何かから開放されるわけではない。

 「孤独」の「孤」は、、、「個」
 「孤独」の「独」は、、、「他と隔たっていること」

 ゆえに「孤独」とは、「一人で在る」ということ。

 本来、人は誰でも一人で在るもの。
 ワタシは他の誰でもない、ワタシなのだ。けしてアナタじゃあない。
 それからすると、人は誰でも孤独であると言い換えることが出来る。
 なので意識しようがしまいが、人間の本質は孤独なものなのだ。

 だから、人は孤独を忘れるために他人を求める。
 誰かと一緒にいることが孤独を忘れさせるからだ。
 しかし、それは一時的な解毒剤のようなもので、時間が経てば効果は薄れる。
 薄れたらまた解毒剤を注入。今や注射器の役目を携帯電話が果たす。
 メールが100通来ました、だからワタシは孤独じゃない。
 でも、数字になんの意味がある?

 自分の中の孤独を、孤独とちゃんと認識する。
 それは自分自身と対峙することに他ならない。
 その覚悟を持つ。
 きっとそれが大人としてのたしなみなのだろうと思う。

 心に一本のナイフを忍ばせて。

 
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孤独について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 「死ぬ時はひとり」
 これはSF作家であるアイザック・アシモフの作品のタイトルでもある。
 金持ちだろうと貧乏人でろうと、死ぬ時は基本的には一人なのだ。無理心中とかすれば二人なのかもしれないが。
現世で得たお金や物はあの世(あればの話)には持って行けないようなので、身一つで行くことになるのだろうか?
 そうなれば金持ち、貧乏人、関係なく、死ぬ時はみんな一緒ということになる。一応。

                         ☆

 「死ぬ時は一人」なら、一人で死ねるようにならないといけない。
 一人で死ねるようになるということは、その覚悟を生きているうちに身につけなければいけないとなり、そう考えると、それなりの覚悟が必要になってくる。
 その覚悟はじゃあどうすれば身につけられるの?
 それが<孤独>と向き合うことなのかもしれない。

                         ☆

 孤独と向き合うこと、、、それは孤独を恐れないこと。孤独を自分の中に受け入れること。
 とかく人は<仲間>とか、<親友>とか、ご大層におっしゃるが、大きな声で叫べば叫ぶほど何か白々しさも付きまとい、どうも胡散臭い。
 もちろんそれらは大切だけれども、そればかりに囚われてしまうと、かえって身動きが取れなくなってしまう。
 人はしょせん一人。かえってそう思ってしまえば、気持ちに余裕が生まれる。
 過度に他人に依存しようとする自分の安易な姿勢を正す。
 そこから改めて世界を構築するんだ。

                         ☆

 一人でいることを肯定したうえで、それでもやっぱり人は完全に一人きりではいられないと悟る。
 しかしもはやその悟りは甘ったれたものではなく、断崖に向かい合う覚悟を内に秘めた上での悟りであるから、たとえ足元が険しく、傾斜がきつくとも、だいじょうぶ、立っていられるんだ。

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美について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 何かを見て、ああ、美しいなあ・・・と思うことって、たまにある。
 じゃあ美しいって何?
 美しい風景、美しい女性、美しい心・・・。
 どうやら美しさとは、「形」(フォルム)と「心」(マインド)に宿るらしい。

                         ☆

 「形」(フォルム)の美しさとは、端的に言ってしまうと、「バランス」なのではないだろうか。
 日本庭園の美しさやモデルさんの顔の美しさなんていうのは、まさにこれ。
 たとえば目だけとか、口だけとか、部分のみ抜き出して美醜を論議してみたところで、それぞれのパーツの集合体である顔を議論したことにはならない。
 また、日本庭園は宇宙の箱庭化でもあるわけだが、配置された岩の形状と大きさ、空(くう)を感じさせる隙間の絶妙なバランスが、小さな庭をあたかも無限大であるかのように感じさせる。
 やはりここでも「バランス」が美の重要な要素になっている。

                         ☆

 それに加え、そぎ落としてそぎ落として、もうこれ以上そぎ落とせないところまで到達したモノが獲得した形(フォルム)もまた美しい。
 その意味で、シンプル・イズ・ベストという言葉は、真実であると思う。

                         ☆

 だけど不思議なもので、明らかにこいつは<美人>じゃないだろうという女性(失礼!)と仲良く手をつないでいる男性を見るにつけ、<美>の基準というか、<美>を認識する心のありようは、まさに人それぞれと思わないわけにはいかない。
 「愛情は一種の錯覚に過ぎない」という言葉があるかどうかは定かではないが、それを否定し切れないような気もしなくもない。
 あいまいな言い方で申し訳ないのだけれど。

                         ☆

 世界的な指揮者である小沢征爾氏の言葉に、
 「美はどこか哀しみの色をまとっている」という言葉があったと記憶(あいまいですいません)している。
 なぜ<喜び>じゃなくて<哀しみ>なのか?
 モーツアルトの曲を聴くと、楽しみに溢れているようにも感じるが、天才モーツアルトの生涯ではあっても、けして<喜び>ばかりではなかったし、むしろ生活苦に悩まされたりと、<哀しみ>の色合いも強かったと聞く。
 人生が楽しみに満ち溢れた者が、わざわざ芸術作品を生み出そうとするするだろうか?
 「遂げられぬ想い」や「幸福へのあこがれ」が作品の純度を高めていくのではないか?
 そう考えれば小沢氏の先の言葉も納得がいく。

                         ☆

 人は<美>に魅せられ、時に<美>に滅ぼされて行く。
 それでも引き寄せられずにはいられない "何か" が<美>を<美>たらしめているのかも知れない。
 たぶん、人間だけに許された<美>を感じる心もちは、かくも不思議なのである。

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自由について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 俺は自由だーっ!!!
 と、叫んでみても、自由ってじゃあ何だ?
 そもそも<完全なる自由>なんて存在しないだろう。
 それなら<不完全なる自由>をとりあえずは獲得するしかない。
 だから、まずあなたにとって、これだけは譲れない自由って何だろうと考えてみる。

                         ☆

 仮に完全なる自由があったとしたら、たぶんその状態は、誰もあなたに関わらない状態じゃなかろうか。
 誰も関わらないということは、空気のような存在で、誰も空気に対しては指示したり、命令したりしないもの。
 でも、これって存在しないのと一緒じゃないの?
 だから完全な自由を獲得したあなたは、獲得した瞬間、この世界には存在しないことになる。
 ありゃりゃ、こりゃ困ったぞ。

                         ☆

 それじゃあ、完全じゃなくていいから<自由>が欲しい。
 よく歌の歌詞にあるじゃない、自由になりたっくて~♪ みたいなの。
 それからするに、「不当な干渉や理不尽な命令によって、束縛されることがないこと」を、一般的には<自由>と定義しているようだ。
 だから先の、自由になりたくて~♪ は、束縛されたくなくって~♪ と、同意語とも考えられる。

                         ☆

 束縛されたくないというのは、心情的には理解出来る。
 「8時だよ、全員集合!」のラストでカトちゃんが、「歯を磨けよ!」とか昔言ってたのも、余計なお世話といえばそうだろう。善意ではあろうが。
 いちいち指図するなよ! と、カトちゃんに文句を言ってもしょうがない。
 でも、言われなければやらない怠け者の自分もいたりして、そういう人にとってはありがたい言葉なのかもしれない。

                         ☆

 じゃあ、命令も干渉もしないから、ちゃんとやってね。
 と、母親に言われ、朝、起こしてもらえなくて学校に遅刻しちゃった。
 命令も干渉もされずに、でも、学校には遅れられない・・・。だから自己責任で起きなくちゃ。
 自由の代償は自己責任だった!
 衝撃の事実(大げさ?)に、自由ってけっこう厄介な部分もあるのがおぼろげながら分かり始め、さて、どうしたものか?

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愛情について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 「好きな人に褒められると、背が5インチ(約12.5cm)高くなったような気になる」
 という歌の歌詞をどこかで見たような気がする。
 クスクスッとつい忍び笑いをしてしまいそうになるが、何となく言いたいことは理解出来る。
 それは時に大の大人を子供のようなウブな心に戻し、たるんだ胸をドキドキさせる。大人気ないねえ~とか陰口叩かれようとも、ご本人様は夢心地。
 端から見るとかなり情けないのだろうなあ・・・。

                         ☆

 他人から見て情けなくても、恋する男も女も、やっぱり嬉しいもの。
 人を好きになるのは切ないが、人から好きになられるのは良いものだ。
 陳腐な歌の歌詞ではないが、
 君がいるから頑張れる~♪
 というのは確かだと思う。
 人は誰しも<愛し><愛されたい>生きものなんだなあ。

                         ☆

 余談ですが、彼女(彼氏)が欲しいと強く思っている時に限って、彼女(彼氏)は出来ず、今は特に欲しいとは思わないという時に限って、何故か彼女(彼氏)が出来てしまう。
 この法則って何なんだろう?
 ギラギラしている時は、それが無言のオーラとなって放出されていて、周囲は敏感にその波動を感じ取ってしまうらしい。だから無欲の時に彼女(彼氏)が出来てしまうのは、ギラギラオーラがないから近寄り易しということなのかも知れない。
 そう考えると、なかなか思うようにはいかないもので・・・。

                         ☆

 自分が好きになった人が必ずしも自分を好きになってくれるとは限らない。
 そんなこと、分かってらい!
 そう声を張り上げてはみたものの、やっぱりちょっと切ない。
 でも、こればっかりは強要するわけにもいかないし、仮に強要したところで、そんなの上手くいくはずもなし。
 人間は、いや、動物だってそう。求愛ダンスの必死な姿は、笑うに笑えないかも・・・。
 でも、きっとどこかにいる。あなたを気に入ってくれる相手が。

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お金について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 お金は・・・あった方がないよりはやっぱりいいよなあ・・・。
 たいがいの悩みごとはお金で解決出来るはず。うん、その通りだと思う。
 元愛人が月に××万円しか貰えなかったとか、後になって週刊誌に暴露したりするケースもままあるが、嫌なら愛人、辞めればいいじゃない!
 金を受け取っておきながらグダグダ文句言うなよ!
 嫌なオヤジだろうが、金のためなら寝れる!!!
 まあ、それくらい金は魅力的だ。

                         ☆

 幸せになりたかったらお金を稼げ。それが出来たら豊かな生活を保障しよう。
 しかし、それが出来なかったら、一生ひもじい思いをするだろう。
 それが嫌なら働け、働くんだ!
 幸福幻想が資本主義の原動力。
 でも、右肩上がりの経済成長も今は昔。給料増えずに税金ばっかり取られてしまうのだった。
 取って付けたような無責任な「心の時代」を一生懸命キャンペーンしても、やっぱり空しく響くだけ。
 「心」を捨て、率先して「モノ」の時代をアピールしてたのだ~れ?

                         ☆

 いい車が欲しい、最新の携帯電話が欲しい、きれいな洋服を着たい、美味しいものを食べたい、大きな液晶テレビ、大きな家、血統証付きの犬、ルイ・ヴィトンのバッグ、エステ、ついでに愛人とかも・・・。
 欲望に限りはなく、ただ肥大するのみ。
 膨張した風船はいつしか破裂する運命にある。
 これが幸福の成れの果て?

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私という厄介なもの(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 『我思う、故に我あり』なんて有名な台詞がある。
 これはデカルトという人が自著の中で使ったもの。
 この世界が嘘だったとしても、それを嘘だと疑っている自分自身は本物なのだ、と、考える考え方がこれに当たるらしい。
 間違った考えだろうが、正しい考えだろうが、それを考えた自分はやっぱり存在しているということか?
 それなら数学の授業が苦痛で、赤点取りそうな自分(過去の私)も、やっぱり存在していることになる。
 さらに、赤点取ったらヤバイじゃん! と、焦る自分も存在したくないのに、残念ながら存在しちゃってるのだった。厳し~い!

                         ☆

 その存在しちゃってる自分ていうのも、何だか良く分からない。
 お前、何もの? とか、つい聞きたくなってくる。
 そう、自分のことすら分からない・・・は、実は誰でもが抱える難問なのだ。
 この前、女優の深津絵里と不倫をする夢を見た。
 なぜ見たのか、なぜ彼女だったのかは分からない。でも、悪い気はしない。そこに登場した自分は、自分の理想を投影したもうひとりの自分だろう。
 しかし、現実は深津絵里と知り合いでもないし、現実の嫁さんは女優でもない。
 気の利いた台詞のひとつも言えず、腰の痛い自分がいる。

                         ☆

 これが私がなりたかった自分?
 いや、違う。
 違うけれども、自分は世界で唯一の存在。他にはいない。
 理想と現実のギャップはいつも人を悩ませる。
 歌手になりたい自分、なれない自分。
 試験問題がスラスラ解ける自分、解けない自分。
 裕福な自分、裕福でない自分。
 実際、こんな自分て、どうなのよ?

                         ☆

 「どうなのよ?」って言ったって、「こうなのよ!」としか言えない。
 だから「こうなのよ!」をとりあえずやっていくしかないわけで、こんな自分が嫌なら変わろうとしなくちゃだし、これでいいなら、まあ、そのまま。
 結局は<原因>と<結果>は、それぞれ自分について回ることになる。
 親に当たっても、わしゃ知らん、と、言われるのが関の山。
 だって、あんた、勉強しなかったじゃない!
 痛すぎる言葉・・・。反論、出来ないし・・・。

                         ☆

 こんな私ですが、よろしく。
 青空に向かってつぶやく言葉は、どこか明るい。
 根拠のない明るさは不気味だけれども、澄み渡った空気の中で吐き出された言葉に嘘はない。


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平和について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 平和でありたいと、誰でも思う。
 戦争は嫌だ。確かに。
 ジョン・レノンの歌う『イマジン』のように、平和な世の中を想像してみても、いまひとつ具体的なイメージが沸(わ)かなくて、途方に暮れてしまう自分もいたりして、平和ってどういうことだろうとか、また堂々巡り。
 北朝鮮とアメリカが握手して、イランとイタリアが肩を組む姿なんて想像出来ないし。
 してくれたらいいな・・・とは思うけれど。

                         ☆

 過去の歴史を振り返れば、必ずどこかで戦争は起きていた。
 だからきっと、戦争は続く。これまでも、これからも。
 正義のための戦争と、どこかの大国は盛んに言うけれど、戦争には利権が必ず絡むもの。対中東戦争には<石油の利権>が絡んだ。中東相手の戦争は大義名分がどうであれ、まず間違いなく石油に絡む戦争なのだ。

                         ☆

 平和は何で守られる?
 ここで言う「平和」とは、戦争のない世の中のことじゃない。微妙なパワー・バランスの上にギリギリ成り立っている危うい平和のこと。
 じゃあそのパワアー・バランスってのは何なんだよ~!
 となった時の答えが《核》だったりするのが、とっても怖~いんですけど・・・。

                         ☆

 お前が(核を)撃ったら、おれも撃つぞ!
 リーサル・ウエポン(最終兵器)を懐に飲み込んだ者同士、丁々発止のやり取りは、一歩間違えれば同士討ち。だから怖くてGO出来ない。
 相手が死ぬのはぜんぜんOKなんだけど。
 そうやって今の僕らのとりあえずの平和は維持されている。喜ぶべきか、哀しむべきか。
 未来の大人たちよ、さて、君ならどうする?

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平等について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 『フランス人権宣言』の第一条には、
 「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する~」
 と、書かれている。
 なので、いちおうその点においては平等らしい。あくまでその点においては。
 だからといってすべてが平等なんてことはやっぱりないわけで、生まれた環境も違えば、顔も、正確も違う。親の年収も違えば、その親さえいない子供だっている。
 「自由」と「権利」においては平等だが、どうやらそれ以外は平等じゃないみたい。

                         ☆

 人は平等ではありえない、そう考えるしかない現実。
 理想だけでは世の中成り立たぬ・・・。わかっちゃいるけど、でも、どうなのよ? とか思っちゃう。
 でも、嫌だ! と、叫んだところでどうにもならぬことばかり。
 だから自分の今立っている地点を冷静に眺め、現実認識をするしかない。
 嘆いたって何にも変わらないのだから。

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宗教について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 私の周囲にもキリスト教系の学校を出たという人(みんな女性)がチラホラ見受けらる。
 話を聴いてみると、特にキリスト教を信仰しているわけではないよう。
 まあ、それも分からなくはない。生活に宗教が根付いている諸外国ならいざ知らず、ここ日本ではいちおう仏教はあるものの、実質、葬式と墓参りくらいしか用はないから。
 生まれた時から宗教が生活の中にごく自然に溶け込んでいる、そんな情況には我々はない、と言うことだ。

                         ☆

 若かりし頃は信仰心の "し"の字もなかった。今でもほとんどないけれど。
 しかし、年を取るに従って、あれだけ毛嫌いしていた宗教に対して、認めてもいいかな・・・くらいには寛容になった。
 人智の及ばない何か巨大な<力>が存在しているという感覚。それは明確には理解出来ない。それでも、それを身近に感じることによって、畏敬の念を抱き、自分は何かに守られていると思えるのなら、それは意義のあることに違いない。
 時にそれが生きる上での規範になるならば。

                         ☆

 <神>を信じるのか、信じないのか?
 突き詰めて行けば結局はそこに辿り着く。
 先の問いに関しては、信じないという立場を取る私は、あえて分類すれば、無神論者ということになるのだろうか?
 ちなみに幽霊(先祖含む)に対しても、怖いけれどもその存在となると懐疑的だ。だから細木数子も江原啓之も信じない。なので超常現象の類もいまいち信じられない。
 あっ、でもUFOならいるかも・・・。

                         ☆

 それが<神>かどうかは分からないものの、人智の及ばない何か巨大な<力>の存在があると感ずるのを否定はしない。
 科学者がミクロにどんどんどんどん一つのものを突き詰めて行く過程で、理解不可能な偉大な<力>の存在を認めたくはないが、認めざるを得ないかもしれない、と、言っていた記事を目にしたように思う。
 そうでないとツジツマが合わないのだそうだ。
 確かに生き物の構造一つを取ってみても、これが最初から計画されていたと冷静に言える自信はない。イコール<神>なのかは定かでないが。

                         ☆

 <神>がどうとかなんてこの際横に置いておいて、宗教もやっぱり「いかに生きるか」ということなのだと思う。
 ということは、宗教も哲学も似たような地点を目指しているのかなあ・・・。
 だったら兄弟みたいなものかもね。

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時間について(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 子供の時間は永遠に続き、大人の時間は早く過ぎ行く。
 どうやら時間は「平均寿命-年齢=速度」の法則がありそうだ。
 ちなみに速度は数の少ないほど速くなる。これって残りの人生が少ない者ほど早いというわけだ。

                         ☆

 『GOLDEN YEARS(黄金時代)』とは、一般に学生時代~20代の頃を指す。
 現在から過ぎ去った過去を懐かしんだ時、郷愁を込めてそう呼んだ。
 「昔は良かったなあ・・・」
 年寄りが縁側で猫の背中を撫でながら、渋茶をズズッと啜(すす)る光景が浮かんだりしてしまう。
 『光陰、矢の如し』、こんな言葉もあったっけ。
 時の過ぎるのは本当に早いもの。
 実感が沸かない?
 ・・・たぶんね。

                         ☆

 時間は誰にでも平等に分け与えられているようにも思えるし、そうでないようにも思える。
 少なくとも<死>が身近にない環境ならば、いちおう平等ではあるに違いない。
 でも、時間の中身といおうか、濃度は個々に依存しているので、そう考えれば、やっぱり平等ではないとも言える。
 要は「意識して」時間を「どう使うか?」によって、時間は長くもなれば短くもなる。そういうこと。

                         ☆

 幸せな時は短く、後はなだらかな下り坂、そう言った人もいた。
 幸せな時だけが永遠に続けばいいのに・・・。
 ついそう考えてしまいがちなのだけれども、幸せな時しかなかったら、それが幸せなのかどうかの判断は出来ないとも言える。
 幸せでない時があるからこそ、幸せな時が輝くのだ。
 すべてはコインの裏と表。表裏一体の関係だったりする。

                         ☆

 いささか矛盾する言い方になるけれど、限りがあるから人は幸せを実感出来る。
 だから時間はいつかは止まらなければならない。砂時計の砂が尽きるように。
 でも、それを嘆いてはならない。
 限りがあるからこそ、<美>は輝くのだから。

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考えるということ(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 疲れるから考えたくない!
 >これ、ある意味正しい。
 考えることは面倒臭い。
 >その通り!
 考えないでいられたら、それに越したことはない、、、と、思う。
 世の中に何の疑問もなければそれでもいい。でも、世の中は分からないことだらけ。
 何でそうなるかな?
 そう思わずにやり過ごせるほど、人は鈍感には出来ていないし、知らないことは知りたくなっちゃう、と、いう性質を持っている生き物なのだ。そこが他の生物と違うところ。
 好奇心、探求心というやつだ。

                         ☆

 誰にでも大なり小なり、知的好奇心はある。
 好きなアイドルのことをもっと知りたい、直接会ってみたい、とかは、誰だって一度や二度、考えたことがあるはず。
 これは度を越えれば単なるストーカー行為だけど、好きなアイドルのことを身近に感じる努力をしているという一点についてだけ考えれば、病的ではあるけれど、探求心旺盛だ。
 ただ、先にも書いた通り、「他人の迷惑」という観点がごっそり抜け落ちているのが致命的ではあるけれども。

                         ☆

 知りたいことはたくさんある。でも、知っていることはほんのわずか。
 このギャップを多少でも埋めたいなと考えるのが、人間なのだと思う。
 逆に、知らないことは知らなくてもいい、そういう人も中にはいるだろうけれど、そうなると自分の知っていることなんて それこそちっぽけなもので、そのちっぽけなものを基準にして考えを組み立てたところで、ちょっと風が吹けばガラガラと音を立てて崩れてしまうのは、分かりきったこと。
 何で崩れたんだ? 
 なんて、不思議がっているのは自分だけ、、、というお粗末。
 やっぱり知らないよりは知っていた方がいい。

                         ☆

 考えたってすぐには分からないかもしれない。そもそも答えだって出るとも限らない。
 それでも考えるという行為自体が我々に与える影響は計り知れない。
 何故なら考える過程こそ、考える醍醐味があるのだから。

                         ☆

 「勉強」って言葉を好きなヤツなんていない。
 え? 好き?
 それはそれは、ご愁傷さま。あなたは変わり者です。
 いや、そうじゃない。だいいち「勉強」という言葉自体が良くない。
 「勉めることを強いる」って、それじゃあ誰だって嫌になる。
 好きという人は、きっと強いられてはいないに違いない。ただ単に知りたいという好奇心に命ぜられるまま、色々調べていったら詳しくなっちゃった。そんなパターンなんじゃないかと思う。

                         ☆

 誰だって好きなことをしていると時間が短く感じる。
 好きなことについて考え、分からないことについて考え、そうするうちに考えることが苦痛じゃなくなる。
 それと同時に知る楽しみも覚え始めるに違いない。
 それが必ずしも学校で教える「授業」とイコールにならないのは残念だけれど、それでもまあいいじゃない。
 考えることはそれほど苦じゃないし、もしかしたら楽しいこともあるかも知れない。それが理解出来ただけでも良しとしておこう。


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人はどう生きるべきか(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 人はなぜこの世に生を受けたのか?
 には意味はないが、
 人はどう生きるべきか?
 については残念ながら意味は、ある。それも大いに。
 偶然生まれてしまったけれど、生まれてしまった以上、その命は自分の命だから。

                         ☆

 望むと望まないにかかわらず、自分の命は自分の手にある。
 とういうことは、生かすも殺すも自分次第ってことだ。
 面倒臭いから誰かにこれを委ねちゃいたいけれど、そうは問屋が卸さない。
 そうしちゃうと、他人の判断に自分の命を預けることになっちゃって、ちょっと嫌だ。
 あんたジ・エンドね。ピッ!(変なボタンを押す音)
 そのピッ! で、好きな女の子との初デートの最中に、あれ?
 目の前真っ暗、、、さようなら~!
 ちょっと寂しい。

                         ☆

 どう生きるかなんて知るか!
 と、好き勝手に生きていければ一番いいんだけれど、好むと好まざるにかかわらず、人は社会の一員として生きざるを得ないので、勝手は許されなかったりする。
 法律は複数の人がとりあえず安全に暮らしていけることを前提とした取り決めなので、個人の好き勝手を許さない。それを許すと社会全体が立ち行かなくなっちゃうから。
 だから極端な自分勝手は×。生まれてはきたけれど、ほとんどを刑務所で過ごすのもあまり利口な生き方とは言えないし。
 心も身体も自由ではなく、拘束された生き方は、きっと窮屈で面白みのないものに違いない。
 だから、やっぱり生き方を考えなくっちゃ・・・と、なるわけだ。

                         ☆

 スタイリストは一般的にモデルなどの服装や髪型を決める人だと考えがちだけど、別の意味もあって、【STYLE = (行動などの独特な)やり方】だったりもする。
 そう考えれば、自分のSTYLE(やり方=生き方)を自分でコーディネイトするのは当たり前なのだ。
 他人にコーディネイトされたものは、他人のSTYLE(=考え方)なのだから、それはあなたのSTYLEではない。
 あなたはあなた独自のSTYLEを考案し、実践すべきだろう。
 それは容易なことではないけれど。

                         ☆

 結論:
 ①他人に迷惑をかけず
 ②自分らしく生きる
 とりあえずこれだけは頭に入れておこう。
 たった二つだけれど、これだってけっこう大変なんだよ。


 *『夜は千の眼を持つ』(裏ブログ)より転写
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人が生まれてきたわけ(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 あろうことか、『人がこの世に生を受けた意味とは?』とか、真面目に考えたりすると、メヴィウスの輪がほら、あなたの前に出現する。まるで自分のシッポを飲み込んでもがくヘビのようだ。
 歴代の哲学者が取り組んだ難問がそれだ。
 でも、結局誰も真理の裏づけを導き出せなかった。
 もしかしたら哲学とは、真理を導き出す学問であるにもかかわらず、真理周辺で漂う「真理らしきもの」を楽しむ学問なのかもしれない。
 隣村のあいつがこんなこと言っとったぞ~、都会から引っ越して来たあいつはこう言ってたよ~、それでどっちが正しいんだあ???
さあ、わしゃ、分からんな・・・、みたいな。

                         ☆

 歴史に残るような偉い哲学者だってよく分からないんだから、私らが分からないのは当たり前。
 でも、分からないながらも、考えたりしてみる。やっぱり哀しい性(さが)。
 そして、頭のいい人ほど、それに絡め取られてゆく。メヴィウスの輪=思考の迷路。
 ならばいっそ、こう割り切ってしまおう。

 Q:人がこの世に生を受けた意味とは?
 A:意味などない!

 えっ?
 目からウロコ・・・。

                         ☆

 意味などない!
 いっそそう言い切ってしまおう。
 そうすれば楽になる。
 だって、生まれる生まれないは、自分の意思ではないんだから。
 当人にすれば偶然、私という人間がこの世に生を受けて誕生しただけ。
 セックスをしたのは私じゃない、私の親なんだから。
 生まれてからのことについては多少の責任はあるかもしれないが。
 だからそんなことで悩むのはこりごり。
 悩んでもしょうがないものは、悩むのや~めた! なのだ。


 *『夜は千の眼を持つ』(裏ブログ)より転写
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無知の知(「夜は千の眼を持つ」より) [考えること]

 無駄に年月を重ね、多少の有益な知識と、多くの無益な知識を身につけたものの、少しも賢くなっていない自分がいたりして、これってどういうこと?
 それでも、少なくとも自分は何にも理解していないということを理解している、というのだけは漠然とだが分かる。
 いわゆるソクラテスの『無知の知』というやつだ。
 何にも知らないことを理解している・・・ということは、何にも知らないことを理解していない人よりは、いくらかは賢いらしので、まあ、良しとしよう。
 ちなみに、自分は何でも知っていると勘違いしている人は、さて、どうなのか?
 多分、誰もそんな嫌味なヤツには近づかないので、無視しよう。

                         ☆

 考えることは人間に与えられた特別な能力だ。サルもライオンも本能に根差した部分では考えるだろうが、本能に根差さない部分では考えない。
 人生を有意義にどう過ごすかとか、明日の休日は何しようかとかも考えない。そもそも休日ないし。
 で、なぜか生存本能以外の部分で悩んでしまうのが、人間なる生き物の哀しい性(さが)で、うじうじとあーでもない、 こーでもないなんて、無駄に悩む。
 『下手(へた)の考え、休むに似たり』。考えるだけますますドツボにはまってしまうこの現実。
 メヴィウスの輪に切れ目はない。エンピツでなぞってみれば、ただエンドレスでグルグル回るだけ。


 *『夜は千の眼を持つ』(裏ブログ)より転写
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